ドラマ「最後から二番目の恋」
毎週楽しみにしていたドラマが終わってしまいました。10時までに帰宅できないときは、録画して観ていました。今まで録画してまで観たいと思ったドラマってあまりなかったので、自分でも意外でした。
最初の回の「寂しくない大人なんていない」という台詞に惹かれて見始めたのでした。
Kyon×2演じる45歳独身の女性テレビドラマプロデューサー、ばりばり働くオトコマエ、女友達とワインを楽しみ、鎌倉の小民家で暮らしている、いわゆるカッコいい女性。自分の情けない話を笑い飛ばしドラマのネタにもするたくましさの中に、どこかしら寂しさや弱さも見え隠れする女性。タイプも立場も違うけど、なんとなく等身大の同世代女性を感じていました。
次の恋を「最後から二番目の恋」と思うことにしよう、と。まだ次がある、と思うことにしよう、というのがタイトルの意味のようです。
最終回の〆の語りの一部です。
「寂しくない大人なんていない。人生がいつか終わってしまうことに大人は気づいているから。その終わりは誰とも分かち合えないから。寂しくない大人なんていない。だからこそ、寂しさを埋めるために恋をするのはやめよう。恋がなくったって素敵な人生は絶対あるはずだ」
そうだね、みんな寂しいのかもしれません。彼女のように独身でなくたって、家族がいたって、寂しいもんは寂しいです。家事を引き受けてくれる母がいて、息子の塾や勉強を管理してくれる夫がいて、わが家はそれだけで機能的には成り立っているわけで、私の役割はあまりありません。ありがたいことではあるのだけど、家の中に役割がない人間は、居場所もあまりないわけで・・・そういう生活になってしまっていることは、仕方のないことだし、不満を言えた義理でもないわけですが・・・
以前に友人が言ってくれたことがあります。堀井家の人たち(私の母も含めて)は一家総出で、みんなが役割を担って、家業である医院をもり立てながら、息子を育てているのね、と。みんなで同じ目標に向かって協力している、と彼女は思ってくれたのでしょう。その頃はそうだったかもしれません。でも今はどうかな?
結局、人間は一人で産まれて来て一人で死んで行くのです。その誕生から死までの間の時間が、人とのつながりで満たされていたとしても、誰とも分かち合えない人生の最期が待っている訳で、やはり結局は寂しさからは逃れられないのかもしれません。
もうひとつ「人生って自分の未来に恋することなのかもしれない」という語りもありました。これはあまり好きじゃないな、と思いました。ウソっぽいから。
NZの大学で聴講生だった頃、心理学でrisk managementというテーマを学びました。人間の最大の危機は「死」である、と。その最大の危機から逃れるため、人は「何か」を残そうとする。自分が滅びても、自分の生きた足跡が残るように、と。それは一般的には子孫を残す、ということで達成されるのであるけれど、音楽家は自分の作った曲を、画家は自分の描いた絵を、研究者は自分の論文を、残そうとする、これも危機に抗する人間の営みであるのだ、と。
私は息子以外に、何かを残せるのでしょうか?それを見つけられたら、安心して孤独に耐えられるのでしょうか?
最初の回の「寂しくない大人なんていない」という台詞に惹かれて見始めたのでした。
Kyon×2演じる45歳独身の女性テレビドラマプロデューサー、ばりばり働くオトコマエ、女友達とワインを楽しみ、鎌倉の小民家で暮らしている、いわゆるカッコいい女性。自分の情けない話を笑い飛ばしドラマのネタにもするたくましさの中に、どこかしら寂しさや弱さも見え隠れする女性。タイプも立場も違うけど、なんとなく等身大の同世代女性を感じていました。
次の恋を「最後から二番目の恋」と思うことにしよう、と。まだ次がある、と思うことにしよう、というのがタイトルの意味のようです。
最終回の〆の語りの一部です。
「寂しくない大人なんていない。人生がいつか終わってしまうことに大人は気づいているから。その終わりは誰とも分かち合えないから。寂しくない大人なんていない。だからこそ、寂しさを埋めるために恋をするのはやめよう。恋がなくったって素敵な人生は絶対あるはずだ」
そうだね、みんな寂しいのかもしれません。彼女のように独身でなくたって、家族がいたって、寂しいもんは寂しいです。家事を引き受けてくれる母がいて、息子の塾や勉強を管理してくれる夫がいて、わが家はそれだけで機能的には成り立っているわけで、私の役割はあまりありません。ありがたいことではあるのだけど、家の中に役割がない人間は、居場所もあまりないわけで・・・そういう生活になってしまっていることは、仕方のないことだし、不満を言えた義理でもないわけですが・・・
以前に友人が言ってくれたことがあります。堀井家の人たち(私の母も含めて)は一家総出で、みんなが役割を担って、家業である医院をもり立てながら、息子を育てているのね、と。みんなで同じ目標に向かって協力している、と彼女は思ってくれたのでしょう。その頃はそうだったかもしれません。でも今はどうかな?
結局、人間は一人で産まれて来て一人で死んで行くのです。その誕生から死までの間の時間が、人とのつながりで満たされていたとしても、誰とも分かち合えない人生の最期が待っている訳で、やはり結局は寂しさからは逃れられないのかもしれません。
もうひとつ「人生って自分の未来に恋することなのかもしれない」という語りもありました。これはあまり好きじゃないな、と思いました。ウソっぽいから。
NZの大学で聴講生だった頃、心理学でrisk managementというテーマを学びました。人間の最大の危機は「死」である、と。その最大の危機から逃れるため、人は「何か」を残そうとする。自分が滅びても、自分の生きた足跡が残るように、と。それは一般的には子孫を残す、ということで達成されるのであるけれど、音楽家は自分の作った曲を、画家は自分の描いた絵を、研究者は自分の論文を、残そうとする、これも危機に抗する人間の営みであるのだ、と。
私は息子以外に、何かを残せるのでしょうか?それを見つけられたら、安心して孤独に耐えられるのでしょうか?
by horii-ent
| 2012-03-26 02:06
| 映画、本